よく、「鬱病は心の風邪」と言われます。このたとえはしかし、正直いかがなものかと思います。鬱病も、重度になると、とてもその症状は風邪に比べられるようなものではなく、このたとえは、鬱病を不当に軽視させる恐れすらあるような気がしています。

そして、鬱病や双極性障害を始めとする精神疾患を「心の病」と呼ぶのはどうなのか、という意見があります。心は実在するものではなく、あくまで脳の機能の障害なのだから、「脳の病気」と呼ぶべきで、「心の病」と呼んでいては、偏見を助長する、という考えです。

私もこの考えには半分くらい同意します。しかし残りの半分は、ちょっと同意しきれないところもあるのです。

というのも、「心は実在するものではなく、脳の働きが心として表れているに過ぎない」とすると、「心も人間の機能的な働きの結果である」に過ぎないという事になります。

つまり、例えば美しい花を見て感動するのも、親しい人の死に涙するのも、お笑い番組を見て大笑いするのも、生理的な反応に過ぎない訳ですね。「血糖値が下がったから空腹を覚える」とか、「血圧が下がったらめまいがした」なんてのと同じレベルという事になります。

もちろん、脳の機能が心(精神)と密接に関わるのは確かでしょう。アルツハイマー型認知症で、脳が委縮したら認知機能に問題が出る事からも、それは明らかです。

しかし本当に、心とは「脳の電気信号のやり取りの結果に過ぎない」のでしょうか。私は、そこまで割り切る事はできません。脳の機能が心に影響するのは間違いないでしょうが、本当の意味での心、言ってみれば「霊性」とでもいうべきものが、脳を支配しているのではないかと、そんな風に感じるのです。

心が脳の働きの結果であるならば、アルツハイマー認知症になると、どんどん心がなくなっていく事になります(脳がどんどん萎縮していきますからね)。しかし、仕事で色んな人を見ていて、決してそうではないのではないかと、私は確信しています。人間には、脳の働きを「精神」と呼ぶとすれば、脳の働きの根底にある「霊性」と呼ぶべき存在があるのではないか、そのように思います。

WHO(世界保健機関)は、健康の定義として、肉体的、社会的、精神的に加えて、「霊的」にも良好であることとしています。WHOの定義の意図までは分かりませんが、私としては、霊が脳の土台にあり、脳の働きが精神(心)となる、というような感じで捉えています。人間を器官レベルで分析しすぎると、「人間の心は、つまりコンピューターと何ら変わりがない」というところに行きつく気がするのですね。

だからと言って、一部の宗教団体がやるように、精神疾患を「悪霊のしわざ」として、悪霊祓いをする、なんていうのは、どう考えてもずれていると思うのですが……(笑)。

そうそう、今日の妻は朝7時半に起きていました。軽躁でもないですし、ちゃんと眠れているのか、ちょっと心配です。夜もエアコンを使っているので、昨夜は暑かったという事もないと思うのですが。夏風邪気味だったのは、少し良くなっているようですが。

梅雨が明けたらもっと暑くなるでしょうから、今のうちに夫婦ともども体調を整えておかないといけませんね。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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昨日の妻は、最近控えていた睡眠薬を飲み、まずまずよく眠れたそうです。眠れたせいか、昨日よりは体調がいいとの事です。

いいとは言っても、「昨日を『下の下』だとしたら、今日は『下の中』」だそうで、やっぱり調子悪いんじゃないか、と突っ込みを入れたくなりましたが(笑)。

それでも、同じ体調不良でも、沈みっぱなしなのと、下り坂なのと、回復途中にあるのとでは、かなり感じる不快さというのは違うはずです。これから少し上昇気流に乗ってくれればいいのですが。

さて、芸能人や政治家の不祥事があると、FacebokやTwitter、ブログなどのSNSで、一億日本人が総批評家にでもなったかのように、一斉に批判書き込み(ツイート)が流れます。傍から見ていても気持ちのいいものではありません。

中には、自分では全く情報収集をせずに、メディアの情報だけで批判する人も多くみられます。しかし、SNSで、匿名で手軽に正義を振りかざすというのは、私は大変危険な事であると思います。

なぜか。手が届かない芸能人や政治家に対して、匿名で正義感を振りかざして批判していると、だんだんと「失敗を赦せない人間」になっていくからです。そして、身近な人に対しても、似たような態度になっていきかねません。

批判したい心が起こったから、何か行動を起こすなら、大変結構な事です(でも、行動するとは言っても、デモとか座り込みでは、自己満足の域を出ていない気もしますが)。しかし、手軽に意見を発信できるSNSで、匿名で正義感を振りかざす。それが正当な理由があるならまだしも、それがストレス解消の手段になってしまったら、こんな恐ろしい事はありません。

何度も書きますが、「人間は自分が口に出した(文字に書いた)通りの人になる」のです。それを繰り返す事で、どんどん他人を赦せない人間になる。何と恐ろしい事ではありませんか。

小林麻央さんが亡くなって1週間で、市川海老蔵さんが子供たちを連れて遊園地(ディズニーランドだっけ?)に行っているのを目撃されて、それがSNSで大批判されている、というニュースを見て、そんな事を思いました。

自分の手の届かない人を、手の届かないところから、名前を隠して批判するくらいなら、もっと自分を省みる方が先決ではないでしょうか。もちろん私もね。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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最近の話題と言えば、将棋の藤井聡太四段。デビューから29連勝という記録もすごいですが、インタビューで「望外」「僥倖」といった、中二とは思えない語彙が次々出てくるのが素晴らしいですね。言葉ってやっぱり大事だと思わされます。

何度か書いた気がしますが、私の持論は「人間は、自分が口に出した(あるいは文章に書いた)通りの人になる」です。陰口や悪口ばかり言っている人は、よりその傾向が強まる事は間違いありません。ですから私は、SNSや匿名掲示板で勝手放題書く人は、「自分で自分の人格を腐らせている」とすら思います。

また、感動した時も、美味しい時も、焦った時も、困った時も、全て「ヤバい」で済ませてたら、人間の感性というものがどんどん鈍くなってしまうのではないかと、私は思うのですよ。人格を貶めるような言葉を使っていたら、自分の人格が腐って行くように、感性のない言葉を使っていたら、自分の感性がさびて行きます。

ことほどさように、自分の口にする、あるいは文章にする言葉というのは、自分というものを正確に映し出し、また自分の方向性を決め、自分の人格すら左右する力があるのです。

今日、90代の老婦人とお話する機会がありましたが、「どんな事があっても、人の悪口や陰口は言っては駄目です。悪口や陰口を心にしまっておけない人は、いずれとんでもないしっぺ返しを食います」と言われました。けだし至言であると思います。

さて今日の妻ですが、昨日睡眠薬のフルニトラゼパムを飲まずに寝てみたそうです。寝付くのに時間がかかったようですが、何とか眠れたそうで、少し自信がついたと言っていました。

もちろん、睡眠薬はそう簡単に一気に切れるものではないので、焦る事はないと思いますが、こうして少しずつ自信がつくのは、良い事ですね。

ただ、今日は妻曰く「軽い躁っぽい」そうです。これを自覚できているなら大丈夫とは思うのですが、朝も割と早く目覚めたようですし、軽い躁の時は、疲れすぎないようにしないと、次の落ち込みがきついですから、要注意です。体調は昨日ほど悪くなくなったようですから、精神的にも肉体的にも落ち着いてくれたらいいなと思っています。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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今日は天気も落ち着いて、妻の体調も昨日に比べるとまずまず。平穏な一日でした。

仕事が終わった後、いつものショッピングセンターに寄って買い物をしたんですが、妻の朝食用の食パンを探していたところ、某メーカーの商品で、袋に「イーストフード、乳化剤、トランス脂肪酸不使用」と書いてあるものがありました。

ほほうと思って手に取って、裏の成分表を見たところ、「ショートニング」の文字が。

トランス脂肪酸じゃん!(笑) ショートニングって、アメリカではその危険性から、既に使用禁止なんですよね。アメリカが危険で使用禁止にしているものを、日本ではまだ堂々と使っているという……。多分外食産業やコンビニエンスストアの揚げ物でも、よく使われていると思います。

とまあ、最近は特に成分表示に注意しています。危ないものを使っていないものは、やはり少し高いです。例えば、妻はたくあんが好きなので、時々買って帰りますが、これも安いものは、着色料から人工甘味料、保存料まで何でもござれ。

天然素材のものは色もいまいちで、少々お高く、さらに日持ちもしませんが、よく考えてみたら、それが当たり前の姿ですよね。色が綺麗。日持ちもします。それに安いです。って、そんなもの体に悪いに決まってます。

こんな事を言っていると、「自分は別に長生きしたくないから、食べたいものを食べたいだけ食べる」という人がいます。私の父もそうでした(だから糖尿病がどうしようもないくらい悪化して、結果脳梗塞になった訳ですが)。

そりゃあ、好きな物ばかり食べて、あるところまで生きたら、ある日突然ぽっくり逝けるのなら、こんな楽な事はないでしょう。しかし今の日本の医療では、残念なことに(?)それは不可能です。

積もり積もって来た不摂生により、だんだんあちらが悪くなり、こちらが悪くなり、体の自由が利かなくなり、口から物を食べられなくなっても、まだ生き続けないといけないのです。好きな物を食べて、晩年はそんな生き地獄みたいな余生を送るなんて、私はあまり考えたくありません。最後まで健康で人間らしく生きたいなら、やはり今から気を付けるしかないのです。

去年の11月23日の記事にも書きましたが、美味しいものを毎日お腹いっぱい食べて、ずっと健康に生きる、というのはなかなか難しい、というのが私の持論です。もちろん、まずいものを食べれば健康になれる、という意味ではありませんが(笑)。

明日は午前中仕事を休んで、妻とみぃを連れて動物病院へ行きます。明日の昼過ぎから手術の予定で、明後日の夕方に迎えに行きます。妻も大変心配でしょうし、みぃもしばらく不自由な生活を強いられるでしょう。

2人分サポートしてあげないとね。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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今日の夕方から、ようやく雨が降ってきました。やっと梅雨らしい天気になりましたね。農家の方もほっと胸をなでおろしている事でしょう。ぜひ、梅雨明けまで平年並みの雨量でお願いしたいところです。

ところで、今日仕事中に、後輩の女性(30代独身)から、こうきかれました。「結婚生活が上手く行くコツはなんですか?」。私の結婚生活が上手く行っているかどうかは分かりませんが、こう答えました。

「『相手が自分に何をしてくれるか』じゃなくて、『自分が相手のために何ができるか』を考える事。夫婦ともにそれを考えていられれば、多分上手く行く」

いわゆる「婚活」をしている人を見ていると、「相手が自分に何をしてくれるか。相手が自分に何を与えてくれるか」にしか興味がなく、「自分が相手に何をしてあげられるか。自分が相手に何を与えられるか」には、まるで興味がない人が、まま見受けられます(主に女性に目立つ気がします。男性にもいるでしょうが)。

曰く、年収がいくらで、結婚しても自分の時間は大事にしたいから縛られるのは嫌で、家事は自分だけでやるのは嫌だから分担制にして……云々。

でも、私は前にも書きましたが、結婚とは、「相手を自分のように思う」事なのです。「自分の時間を、半分は相手にささげる」つもりでないと、なかなか難しいのではないでしょうか(当然、妻が自分の時間を夫にささげるのと同様、夫も自分の時間を妻にささげる事が求められます)。

それができずに、「私は自分の事が一番大事。だからあなたも私の事を大事にして」と言われて、「うん、分かったよ」と言ってくれるほど、度量の大きな男は、まず滅多にいないと思われます(笑)。これすごく身勝手極まりないですよね。「あなたの事を一番大事にするから、あなたも私の事を大事にして」なら、これは至極当たり前ですが。

ただ、「あなたの事を一番大事にするから、あなたも私の事を大事にして」というのは、当たり前に見えて、実は私はちょっと危ない考え方だと思います。これつまり、「私もあなたのために色々するから、あなたも見返りよろしく」ですよね(笑)。見返りを前提としての行動は、これまたそのうち破綻します。

結局のところ、「(自分の事はさておいて)あなたの事を、自分の事のように大事にします」という、聖書の言葉に行きつく訳です。2000年も前に書かれた本なのに、よくできてますよね(笑)。こういう気持ちで妻のために尽くせればいいなあと、日々思いを新たにしています。

妻は今日も体調不良です。私はというと、昨日はなかなか寝付けずに、今朝はちょっと起きるのが辛かったですね。明日は夫婦ともども元気になればいいのですが。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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