今日は一日雨。家の前の桜並木は五分咲きというところ。せっかくの桜を、味わう間もなく花が散ってしまいそうですが、まあこんな年もありますよね。

さて、先日あるブログで見たんですが、癌などの不治の病で、「あなたは余命○カ月です」という余命宣告。これって、怖いくらい当たるそうなんです。これは別にその医師が正確に余命を診断できているから、という訳ではなく、余命を宣告する事で、患者の究極の「負のスイッチ」を入れてしまうから。

つまり、余命宣告する事で、「ああ、もうあと○カ月しか生きられないんだ」という意識を強烈に埋め込み、それが本当に死へ向かわせる、というもの。もちろん病気で亡くなるんでしょうが、確かにそういう一面もあるでしょう。

このような医師によるマイナスの意識付けを、統合医療で世界的に有名なアンドルー・ワイル博士は、「医師による呪い」と表現していました。あるいは、究極の「逆プラセボ効果」とも言えるでしょう。

医療に携わる者が、この「逆プラセボ」の効果を自覚せず、気軽に負のオーラに満ちた言葉を口にしている事が多いのではないかと、私も感じます。

そして、マイナスの意識付けが可能なら、当然プラスの意識付けも可能なはずです。治ると確信している人と、治るはずがないと思い込んでいる人、どちらが治る可能性が高いかと言えば、絶対に前者です。これは、私も日々の仕事の中で実感しています。

精神疾患とても例外ではないはずです。が、鬱病や双極性障害のさなかにいる人に、「自分は絶対治る(寛解する)という確信を持て」と言ったところで、それは難しい相談です。双極の躁状態は、自分を病気だとは思いませんし、鬱状態の人にそんな事ができる訳ありません。

だからこそ、家族など身近な人が、絶対に寛解するんだという確信を、単なる気休めではなく持ち、その確信でもって患者本人と接し続けるというのは、とても大事な事ではないかと思うのです。

患者本人の意識付けじゃないと意味がないかと思いきや、そんな事はないと思います。身近な人のそういう意識って、きっと伝播します。逆に、ネガティブな意識も患者本人に伝播するでしょうし、そうすると患者と家族が負のスパイラルにはまり込み、お互い疲弊しきってどん底に、なんて危険もありうるかも知れません。

そういう訳で、私は妻がこの先きっと寛解すると信じて疑いませんし、もうすぐ2年ですが、一度もその希望を失った事はありません。そのためにできる事なら何でもするつもりでいます。食べ物にもなるべく工夫しようと思っていますし、また他にもできる事はたくさんあるでしょう。

「わらにもすがる」という、ネガティブさから逃れようとする気持ちではなく、「寛解する」という前向きの確信と希望をもって、いろいろ実行する方が、きっと妻にもいい影響を与えるんじゃないかと信じます。

そう思って、これからも私にできる事を、1つずつ積み重ねていくつもりです。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
応援クリックしていただければ、励みになります

こんなニュースを見ました。

東京女子医大病院「薬過量投与で死亡」で賠償提訴

東京女子医科大学病院で、薬を投与された女性が、薬の副作用で亡くなったという事件で、遺族が同病院を提訴した、というもの。ここで目をひくのは、そこで使われていた薬です。ラモトリギン(ラミクタール)の過剰投与で亡くなったというのです。

ラミクタールと言えば、双極性障害の治療でもおなじみの薬です。私の妻も服用していますし、双極性障害における、「鬱状態予防」に使える数少ない薬ですから、これを処方されている患者さんも少なくないでしょう。

上記のリンク先によると、亡くなった患者は脳腫瘍の治療のためにラミクタールを処方され、連日投与されたそうなんですが、その量が200mgだったそうです。ラミクタールは、バルプロ酸ナトリウムとの併用かどうかでも、投与方法が違いますので、「添付文書で定められた量の16倍」という記述は、そのまま受け取れませんが(バルプロ酸との併用の場合、1日おきに25mgの投与から始めるとされており、この場合は確かに16倍の計算になります)、それにしてもラミクタールに皮膚の副作用が生じ得る事は、少し詳しい人なら誰でも知っているはずです。

私の妻も、ラミクタールを処方された最初の頃は、薬疹が出ましたから、一度量を減らし、かなり慎重に量を増やしました。ラミクタールをいきなり200mg連日投与して中毒性表皮壊死症って、これが本当だとしたら、ちょっと軽率に感じられますね。

記事中で、「薬剤師が医師に確認した」とありますが、これが本当に機能していたかどうかも気になるところです。実は私の弟が薬剤師なのですが、色々話をきくと、結構あれな医者が多いらしいのですね(汗)。「この処方はいかがなものか」という処方箋が、結構来るらしいのですよ。

患者からすると、医者は薬にも凄く詳しいと思われがちですが、全然そんな事はありません。もちろん、中には薬に詳しい医者もいますが、多くの医者は薬の事など全然詳しくないです。薬の事は何と言っても薬剤師が一番詳しいのです。

なので、薬剤師は処方を見て、「これはいかがなものか」と思ったら、医者に確認するのですが、そういうアレな処方を出す医者に限って、薬剤師が意見すると「薬剤師ごときが意見するとは何事だ!」と、逆ギレするという(汗)。いや、あんた薬知らないでしょ、って(笑)。そんな医者ばかりとは思いませんが、そんな医者に当たってしまったら、薬剤師もやっていられないでしょうし、何より患者が不幸ですよね。

皆さんに覚えておいていただきたいんですが、本当にいい医者は、ごくごく一部です(知識とか技術が優れた医者という意味ではないですよ)。私がよく人に言うんですが、「いい医者に出会う確率は、いい政治家に出会う確率と同じくらいのものです」。こういうと、皆さん納得していただけます(笑)。

日本の医者は、それでなくても気軽に危険な薬を出し過ぎる傾向にあるように思いますし、何と言っても日本人自体が、「風邪ひいたら風邪薬、せきが出たら咳止め、熱が出たら解熱剤」という有様で、「お医者さんが出したから飲んどこう」になっている場合も、多々あります。薬については、飲むからにはやはり最低限の知識は持っておきたいですし、薬について分からない事があったら、すぐ薬剤師に相談すべきです。

医者ではなく、ね(笑)。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
応援クリックしていただければ、励みになります

最近、妻はちょっと活動的だったのですが、その反動か今日はとても疲れて調子が悪い様子です。活動的とは言っても、プラ板やフェルトでアクセサリーを作ったり、買い物に行ったりと、それほど激しく動いていた訳ではないんですが、妻の場合は一度何かを始めると、とことんやり抜いてしまう傾向があるから、少しずつ疲れがたまったのかも知れません。しばらくゆっくり休んで、心と体の元気を取り戻して欲しいですね。

さて、よく鬱病の事を「心の風邪」という風に表現されます。しかし、これって果たして適切なたとえなんでしょうか? 私自身も鬱で10年近く苦しんだ経験があるんですが、鬱を「心の風邪」と表現するのは、全く鬱病の事を知らない人が言っているとしか、私には思えないのです。

一体、鬱病のどこをとって「心の風邪」という表現をしているのか、よく分かりません。「誰でもなりうる」ところでしょうか。しかし、風邪は普通数日で治るのに比べて、鬱病は短くても3か月、長いと数年も苦しめられます。また、風邪で自殺したりはしませんよね。

鬱病の苦しみを、正常の人も感じる「ちょっと気持ちが沈む」「なんかやる気が出ない」程度の心の落ち込み、くらいに思っているのかも知れませんが、決してそうではなく、鬱病の症状は、「こんなに辛いなら死んだ方がいい」と思えるほど苦しいものである事は、この病気を経験した人なら分かるはずです。その苦痛は、とても風邪とは比較になりません。

と思っていたら、今度は「鬱は心の骨折」という表現を見ました。「心の風邪」よりはマシな気もしますが、心の骨折という表現もいかがなものかと(苦笑)。確かに、「心が折れる」なんて言葉もありますけど、「心の骨折」とたとえるのは違う気がします。鬱病は、風邪や骨折にたとえられるようなものではなく、あくまで鬱病は鬱病でしかないのです。

変なたとえで無駄な誤解を与えるくらいなら、もっと鬱病そのものの知識を啓蒙するべきなんじゃないかと思いますね(それでも、以前に比べたら大分改善してきた気はしますが)。何度も書いた通り、医療技術者でさえ、精神科に勤務しているのでなければ、精神疾患に対してまともな知識を持っていない、という現状がありますから。

そんな事を思っていたら、今度は、高名な精神科医の香山リカさんが、「双極性障害は心の生活習慣病」という表現をされていたのを見ました(結構前の事ではありますが)。精神科医自ら、そんな誤解を与えそうな表現をしてどうするのか(笑)。

「心の風邪」という表現に、異を唱えている精神科医もいるようですし、今後もう少し精神疾患にきちんとした理解が広がる事を期待したいものです。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
応援クリックしていただければ、励みになります

昨日は夜まで大雨が続き、私自身もなかなか寝付けませんでした。と言いつつ、妻によると12時過ぎには寝ていたらしいのですが(笑)。

私は、10年くらい前に不眠からの鬱病を発症し、かなり長く睡眠薬と抗鬱薬のお世話になっていました。抗鬱薬が切れても、睡眠薬は最後まで切れずに、苦労しました。今は何とか、睡眠薬なしでも眠れるようになりました。時々なかなか寝付けない日もありますが、「そのうち眠れるでしょ」くらいに気楽に構えています。

不眠はもちろんきつかったのですが、私が経験した症状のうちでなかなか難儀だったのが、「離人症状」です。上手く説明できませんが、見ている光景が、あたかも映画かゲームの場面のように、現実感が乏しくなるのです。周りにいる人も、ロボットかマネキンのように感じられました。

それだけならまだいいんですが、これにちょっとした被害妄想が加わると、仕事どころではなくなりました。周りの人の会話が、全て自分の悪口のように聞こえてくるんですね。こういう状態の時は、他人と関わるのが非常に辛かったです。今もそう楽しいという訳ではないんですが(笑)。

なので、不調な時期は「もう3か月くらい仕事休んでしまいたい」と、何度も思いました。が、なぜか主治医に自分から「仕事休みたいんです」とは、一度も言いませんでした。絶対休んではダメだ、と強く思っていたんですね。今から思えば、早めに休んでおけば、もっと早く回復していたのかも知れません。

もっとも、こういう状況で「仕事休みます」と自分から言い出せるような人は、そもそも鬱病(新型ではない、メランコリー型鬱病)にはならないだろう、という話もありますが(笑)。

こういう、精神的な苦しみは、失敗体験が少ない「俺様」タイプの人間には、なかなか分かっていただけないようで、今でも職場でそういうタイプの人とは、そりが合いません。鬱病を「普通の人が誰でも経験する気分の落ち込み」くらいに思っている人には、鬱の苦しみは理解しがたいものなのでしょう。離人症上なんて、口で説明しても分かるものでもないですし(医療職なら、必ず離人症も習っているはずなんですが)。

昨日に続き、妻はちょっと風邪気味です。こういう時のために、冷蔵庫にはプリンとかチーズケーキとか、デザートを色々用意してあります。とは言っても、買うのはほとんどコンビニエンスストアですが、最近のコンビニ洋菓子は侮れませんよ。

土曜は妻を美容室に連れて行く日です。そして明日は私は歯科受診の日。頑張ってきます。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
応援クリックしていただければ、励みになります

今日は昼からかなり強い雨でしたね。空も真っ暗で、こういう天気の日は気が重くなります。

そういう日は、妻も精神的に沈みがちですが、今日はどちらかというと、体調がいまいちだったようです。寒気がして、少し熱っぽい感じ。風邪気味ですね。

さて、色々なブログを見ていると、「最初鬱病だったけど、進行して双極性障害になった」みたいな表現を時に見る事があります。しかし、うつ病が悪化して双極性障害になる訳ではありません。

双極性障害が躁状態から発病すれば、「双極性障害である」と診断できますが、鬱状態から発病した場合、鬱病と診断せざるを得ないのです。その後躁病エピソードが出て、初めて「あ、鬱病じゃなく双極性障害だったのね」と、確定されるという事です。ですから、病気が変わったとか、進行した訳ではないのです。

ところで、双極性障害とうつ病では、治療方法も違いますが(薬が何より違いますね)、同じ「鬱状態」でも、双極性障害とうつ病では、症状が違います。

大きな特徴として、「鬱病では、良い事にも心が反応しなくなるが、双極性障害の鬱状態では、良い事にある程度の反応がみられる」というのがあります。具体的には、正常な反応を100として、50の反応があれば、「反応あり」とみられるようですね。

また、鬱病では「ひたすら自分を責める」傾向があるのに対し、双極性障害では意外と自分を責めず、他人を責める傾向もみられる、との事です。この、双極性障害の鬱状態にみられる特徴は、最近話題のいわゆる「新型鬱病」(非定型鬱病)の特徴と近いのが、また話をややこしくしている感がありますが……。

もちろん、あくまで「そういう傾向」というだけで、双極の鬱状態でも、良い事に心が全く反応しなかったり、自責的な傾向がある場合もあるでしょう。私の妻も、自責的な傾向が強いように見受けられます。もっとも、パーソナリティ障害の問題まで絡んでくると、どの症状がどこに由来するのか、さっぱり分からなくなりますが(汗)。

とにかく、妻には今日はゆっくり休んでもらって、早く元気になって欲しいですね。今日の夕食は、昨日の鮭のムニエルに続いて、鱈のバジルソテーを作りました。しかし、鱈は鮭に比べると崩れやすく、皿に移す時、見事に真っ二つになりました(笑)。焼き方だけじゃなく、取り扱いにも注意して料理しないといけませんね。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
応援クリックしていただければ、励みになります