今日も暑かったですね。仕事が終わって帰る時の気温が32℃。何やら北海道も暑いらしく、大変そうです。北海道って、エアコンがある家がそれほどないらしいですからね。

ただ、暑いと言っても夜は気温が20℃そこそこまで下がるそうなので、寝苦しくはなさそうです。下関だと、夜10時でも28℃、なんて事が珍しくないですからね。これではぐっすり眠れません。

さて、最近「障害者」の事を、「障がい者」とか「障碍者」と書く人が増えている気がします。が、私はこの表記が好きではありません。この表記に限らず、言葉による差別だとばかりに、次々「無難な言葉」に言い換えていくのが、どうも引っ掛かります。

そもそも、言葉を言い換えたからって、何が変わるんでしょう。逆に、ただ言い換えただけで何も変わってない気がするのです。大事なのは言葉じゃなく、障害者とどう接するかではないんでしょうか?

他にも、「痴呆」が「認知症」に言い換えになった例にしても、「認知症」という、すべてをオブラートに包んだような表現からは、この病気(正確には病気というより、「症候群」なのであるが)の持つ恐ろしさや問題点は、何ら伝わってきません。

そして、「認知症」と言い換えた事で、世の中の人の、認知症の老人に対する見方や接し方が何か変わったかといえば、私には何も変わったようには思えないのです。

「障碍者」「障がい者」という言葉にしても同じです。こういう「オブラートに包んだ」言葉を使う事で、障害者(特に精神障害者)に対する世の中の見方が何か変わったでしょうか? これも、私には何ら変わったようには思えないのです(以前にも書いた通り、医療従事者ですらよく分かっていない人が多いですから)。

「障がい者」「障碍者」と、言葉だけ変えて終わる事ではなく、その本態をもっと多くの人に理解してもらう事こそ、もっと意識されるべきなのではないかと思うのですが、現在のところそれは正直望み薄であるとしか思えません。

言葉が大事でないとは言いません。でも本当に大事なのは、障害者に手を差し伸べるコミュニケーションとしての言葉であり、「ラベル」としての呼称にこだわる事ではないと思うのです。ラベルにこだわるなら、中身はどうでしょうか? そこにこそもっと目を向けられるべきだと思います。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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最近は、インターネット環境の発達で、ひと昔前であれば専門職や技術職でないと知らない言葉が、一般の人々にもよく知られるようになってきていますね。医療においても例外ではありません。

例えば、「アスペルガー症候群」や「ADHD」など、以前は医療職でないと知らない言葉でしたが、今では広く一般に知られているように思います(が、「双極性障害」という言葉は、医療職でも精神科以外ならば知らない人が多い。実話)。

ただ、知られるようになったはいいんですが、本来の意味と違う、「雰囲気だけ」の使われ方をするのはいかがなものか、というような感じもしています。

例えば、会話で少し場にそぐわない発言をしたら、「お前アスペなんじゃないか」とか、ちょっと落ち着きのない人に「ADHDだな」とか。こんな使われ方をしたら、アスペルガー症候群の人とか、ADHDで苦労している人なんかは、たまったものではありませんよね。「よく知りもしないのに、一緒にするな!」と怒られそうです。

あるいは、気分がちょっとハイになっている人が、「今日ちょっと躁状態で」なんていう発言も、少々いかがなものかと思います。一般の方からすると、躁状態=ハイテンション(この「ハイテンション」という言葉が私は好きではないのだが)くらいの認識でしょうが、躁状態というのが、どれほど恐ろしいものかは、双極性障害の人なら分かるはず。「たかが気分がちょっといいような状態を、躁状態とかふざけるんじゃねえ!」と言われてもおかしくありません。

おかしな事に、こういうおかしな使われ方をするのは、精神科領域の言葉だけのように思います(他にも「妄想」とか「多重人格」とか……)。例えば、少し手が不器用な人に対して、「お前脳梗塞なんじゃないか」とか、つまづき癖がある人に対して、「パーキンソンだな」なんて言ったりはしません。そんな事言ったら、人権問題にかかわりますよね。

あまり言葉に過剰に反応するのも考え物ですが、言葉だけが独り歩きするのではなく、その言葉の本当の意味や、そういう症状の人の辛さというものも、もう少し広まっていいんではないかと思うのです。上で「医療職でも双極性障害の名前を知らない」と書きましたが、驚く事に医療職であっても、「躁状態なら元気って事だから、別にいいんじゃない?」なんて人も存在します。

情報があふれて錯綜する現代だからこそ、ネットで拾った言葉を未消化なまま、適当な意味で使うのではなく、一人一人がその言葉を本当に理解し、正しい使い方をしていくある意味の「自制心」が必要なのではないでしょうか。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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今日は一日雨。家の前の桜並木は五分咲きというところ。せっかくの桜を、味わう間もなく花が散ってしまいそうですが、まあこんな年もありますよね。

さて、先日あるブログで見たんですが、癌などの不治の病で、「あなたは余命○カ月です」という余命宣告。これって、怖いくらい当たるそうなんです。これは別にその医師が正確に余命を診断できているから、という訳ではなく、余命を宣告する事で、患者の究極の「負のスイッチ」を入れてしまうから。

つまり、余命宣告する事で、「ああ、もうあと○カ月しか生きられないんだ」という意識を強烈に埋め込み、それが本当に死へ向かわせる、というもの。もちろん病気で亡くなるんでしょうが、確かにそういう一面もあるでしょう。

このような医師によるマイナスの意識付けを、統合医療で世界的に有名なアンドルー・ワイル博士は、「医師による呪い」と表現していました。あるいは、究極の「逆プラセボ効果」とも言えるでしょう。

医療に携わる者が、この「逆プラセボ」の効果を自覚せず、気軽に負のオーラに満ちた言葉を口にしている事が多いのではないかと、私も感じます。

そして、マイナスの意識付けが可能なら、当然プラスの意識付けも可能なはずです。治ると確信している人と、治るはずがないと思い込んでいる人、どちらが治る可能性が高いかと言えば、絶対に前者です。これは、私も日々の仕事の中で実感しています。

精神疾患とても例外ではないはずです。が、鬱病や双極性障害のさなかにいる人に、「自分は絶対治る(寛解する)という確信を持て」と言ったところで、それは難しい相談です。双極の躁状態は、自分を病気だとは思いませんし、鬱状態の人にそんな事ができる訳ありません。

だからこそ、家族など身近な人が、絶対に寛解するんだという確信を、単なる気休めではなく持ち、その確信でもって患者本人と接し続けるというのは、とても大事な事ではないかと思うのです。

患者本人の意識付けじゃないと意味がないかと思いきや、そんな事はないと思います。身近な人のそういう意識って、きっと伝播します。逆に、ネガティブな意識も患者本人に伝播するでしょうし、そうすると患者と家族が負のスパイラルにはまり込み、お互い疲弊しきってどん底に、なんて危険もありうるかも知れません。

そういう訳で、私は妻がこの先きっと寛解すると信じて疑いませんし、もうすぐ2年ですが、一度もその希望を失った事はありません。そのためにできる事なら何でもするつもりでいます。食べ物にもなるべく工夫しようと思っていますし、また他にもできる事はたくさんあるでしょう。

「わらにもすがる」という、ネガティブさから逃れようとする気持ちではなく、「寛解する」という前向きの確信と希望をもって、いろいろ実行する方が、きっと妻にもいい影響を与えるんじゃないかと信じます。

そう思って、これからも私にできる事を、1つずつ積み重ねていくつもりです。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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こんなニュースを見ました。

東京女子医大病院「薬過量投与で死亡」で賠償提訴

東京女子医科大学病院で、薬を投与された女性が、薬の副作用で亡くなったという事件で、遺族が同病院を提訴した、というもの。ここで目をひくのは、そこで使われていた薬です。ラモトリギン(ラミクタール)の過剰投与で亡くなったというのです。

ラミクタールと言えば、双極性障害の治療でもおなじみの薬です。私の妻も服用していますし、双極性障害における、「鬱状態予防」に使える数少ない薬ですから、これを処方されている患者さんも少なくないでしょう。

上記のリンク先によると、亡くなった患者は脳腫瘍の治療のためにラミクタールを処方され、連日投与されたそうなんですが、その量が200mgだったそうです。ラミクタールは、バルプロ酸ナトリウムとの併用かどうかでも、投与方法が違いますので、「添付文書で定められた量の16倍」という記述は、そのまま受け取れませんが(バルプロ酸との併用の場合、1日おきに25mgの投与から始めるとされており、この場合は確かに16倍の計算になります)、それにしてもラミクタールに皮膚の副作用が生じ得る事は、少し詳しい人なら誰でも知っているはずです。

私の妻も、ラミクタールを処方された最初の頃は、薬疹が出ましたから、一度量を減らし、かなり慎重に量を増やしました。ラミクタールをいきなり200mg連日投与して中毒性表皮壊死症って、これが本当だとしたら、ちょっと軽率に感じられますね。

記事中で、「薬剤師が医師に確認した」とありますが、これが本当に機能していたかどうかも気になるところです。実は私の弟が薬剤師なのですが、色々話をきくと、結構あれな医者が多いらしいのですね(汗)。「この処方はいかがなものか」という処方箋が、結構来るらしいのですよ。

患者からすると、医者は薬にも凄く詳しいと思われがちですが、全然そんな事はありません。もちろん、中には薬に詳しい医者もいますが、多くの医者は薬の事など全然詳しくないです。薬の事は何と言っても薬剤師が一番詳しいのです。

なので、薬剤師は処方を見て、「これはいかがなものか」と思ったら、医者に確認するのですが、そういうアレな処方を出す医者に限って、薬剤師が意見すると「薬剤師ごときが意見するとは何事だ!」と、逆ギレするという(汗)。いや、あんた薬知らないでしょ、って(笑)。そんな医者ばかりとは思いませんが、そんな医者に当たってしまったら、薬剤師もやっていられないでしょうし、何より患者が不幸ですよね。

皆さんに覚えておいていただきたいんですが、本当にいい医者は、ごくごく一部です(知識とか技術が優れた医者という意味ではないですよ)。私がよく人に言うんですが、「いい医者に出会う確率は、いい政治家に出会う確率と同じくらいのものです」。こういうと、皆さん納得していただけます(笑)。

日本の医者は、それでなくても気軽に危険な薬を出し過ぎる傾向にあるように思いますし、何と言っても日本人自体が、「風邪ひいたら風邪薬、せきが出たら咳止め、熱が出たら解熱剤」という有様で、「お医者さんが出したから飲んどこう」になっている場合も、多々あります。薬については、飲むからにはやはり最低限の知識は持っておきたいですし、薬について分からない事があったら、すぐ薬剤師に相談すべきです。

医者ではなく、ね(笑)。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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最近、妻はちょっと活動的だったのですが、その反動か今日はとても疲れて調子が悪い様子です。活動的とは言っても、プラ板やフェルトでアクセサリーを作ったり、買い物に行ったりと、それほど激しく動いていた訳ではないんですが、妻の場合は一度何かを始めると、とことんやり抜いてしまう傾向があるから、少しずつ疲れがたまったのかも知れません。しばらくゆっくり休んで、心と体の元気を取り戻して欲しいですね。

さて、よく鬱病の事を「心の風邪」という風に表現されます。しかし、これって果たして適切なたとえなんでしょうか? 私自身も鬱で10年近く苦しんだ経験があるんですが、鬱を「心の風邪」と表現するのは、全く鬱病の事を知らない人が言っているとしか、私には思えないのです。

一体、鬱病のどこをとって「心の風邪」という表現をしているのか、よく分かりません。「誰でもなりうる」ところでしょうか。しかし、風邪は普通数日で治るのに比べて、鬱病は短くても3か月、長いと数年も苦しめられます。また、風邪で自殺したりはしませんよね。

鬱病の苦しみを、正常の人も感じる「ちょっと気持ちが沈む」「なんかやる気が出ない」程度の心の落ち込み、くらいに思っているのかも知れませんが、決してそうではなく、鬱病の症状は、「こんなに辛いなら死んだ方がいい」と思えるほど苦しいものである事は、この病気を経験した人なら分かるはずです。その苦痛は、とても風邪とは比較になりません。

と思っていたら、今度は「鬱は心の骨折」という表現を見ました。「心の風邪」よりはマシな気もしますが、心の骨折という表現もいかがなものかと(苦笑)。確かに、「心が折れる」なんて言葉もありますけど、「心の骨折」とたとえるのは違う気がします。鬱病は、風邪や骨折にたとえられるようなものではなく、あくまで鬱病は鬱病でしかないのです。

変なたとえで無駄な誤解を与えるくらいなら、もっと鬱病そのものの知識を啓蒙するべきなんじゃないかと思いますね(それでも、以前に比べたら大分改善してきた気はしますが)。何度も書いた通り、医療技術者でさえ、精神科に勤務しているのでなければ、精神疾患に対してまともな知識を持っていない、という現状がありますから。

そんな事を思っていたら、今度は、高名な精神科医の香山リカさんが、「双極性障害は心の生活習慣病」という表現をされていたのを見ました(結構前の事ではありますが)。精神科医自ら、そんな誤解を与えそうな表現をしてどうするのか(笑)。

「心の風邪」という表現に、異を唱えている精神科医もいるようですし、今後もう少し精神疾患にきちんとした理解が広がる事を期待したいものです。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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