今日の下関は、最高気温を記録したのが朝5時で、あとは
どんどん気温が低くなっていくという、摩訶不思議な気温の
1日でした。こんなこともあるんですね。

さて、今日は私の母の話でもしましょう。母は今度の3月で
70歳。両方の人工股関節の手術をしていまして、身体障害
者3級ですが、まだまだ元気です。先日、念願のiMacを買い、
今一生懸命使い方を覚えているらしいですよ。

その母ですが、数年前にアルコール依存症になって、大げ
さでなく、我が家は一家崩壊の一歩手前まで行った事が
あります。

そもそもは、父が脳梗塞で倒れたのが発端でした。父は、
長年糖尿病を患っていて、母がいろいろ工夫したり、節制
するように言い聞かせたりしていたんですが、まるで聞く耳を
持たず、全然節制できませんでした。

なので、脳梗塞で父が倒れた事は、言ってみればほとんど
必然だったんですが、その後の母のストレスが一層きつく
なったんですよね。

幸い、父の後遺症はそれほど重くなく、歩いたり、風呂に
入ったり、日常の事はできていましたし、少し聞き取りにくい
とは言え、言葉もしゃべれていました。が、「高次脳機能障害」
というのが残ったんですよね。これが厄介だったのです。

これで母のストレスが強くなり、アルコールに依存してしまっ
たんですね。

私は、父が脳梗塞で倒れてしばらくして、実家へ呼び戻され
ました。やはり色々大変だったんでしょう。私は実家から車
で5分のところで一人暮らしをしていたんですが、親のためだ
と思って、実家に戻ってきました。

まあしかし、色々大変でしたよ。母の依存症がだんだん酷く
なるにつれ、料理もまともにしなくなったり、休みの日は、
家にいるのが嫌で、朝から晩まで車で山口県内を走ったり
していました。

ちなみに、私はフルートを習っていますが、習い始めたのは
この時です。父は脳梗塞の後遺症、母はアルコール依存症で、
私もストレスがたまっていて、「新しい楽器でもやるか」と思った
んですね。

今から思うと、この時フルートを始めていなかったら、妻とも結婚
していなかったでしょうから、めぐりあわせというのは不思議な
ものです。

ある日、とうとう業を煮やした私は、職場から依存症専門の
病院へ電話をかけ、強制的に入院させたのでした。この辺りが
一番大変でしたね。この間、家のお金は全て私が出していまし
たし。

この時は本当に「酒というのは、何と恐ろしいものだ。悪魔の
水だ」と心底思いました。私も、週に1回くらいはお酒飲みます
けどね(笑)。

ちなみに、たくさん飲めばアルコール依存症になるのかという
と、そういう訳ではありません。時々飲むだけでも、依存症になる
人はいます。

では、その分かれ目は何かといいますと、「楽しんで飲んでいる」
なら、ある程度たくさん飲んでても大丈夫なのです(肝臓は悪く
するかも知れませんが(笑))。が、「お酒をストレス解消にして
しまう」と、危ないです。それこそが、依存症への入り口です。
「悪いとは思いながら、ストレスで飲まずにおれなくて」という
人は、要注意です。母が、まさにそのパターンでした。

未だに、飲酒運転でつかまる人が後を絶たないようですが、
酒は本当に恐ろしいですよ。人間を変え、家族を崩壊させる
ところまでいきますから。

ま、「酒は飲んでも飲まれるな」という事で。家族崩壊の一歩
手前まで行ったわりに、何という安っぽい教訓(笑)。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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いつも妻のことばかり書いていますが、実は私も10年近く精神
科に通っていました。まあ、自分が勤めている病院に精神科が
あるので、勤務中に行けたのは楽ではありましたけど。

10年近く前に、同じ病院内で部署の異動があったんですが、そ
の直後から、酷い不眠に悩まされ、体も重くなり、朝も大変辛く
なりました。

そこで、とにかく眠れないのだけでも何とかしようと、街の薬局に
行って、「睡眠改善薬」と呼ばれるもの(これ、中身は風邪薬と
同じなんですよね実は)を買って飲んでみたんですが、まるで
効果がありませんでした。

どうにもならなくなって、精神科へ行ったところ、医者に「君、
それはうつ病じゃないかなあ」と言われたのです。言われた時は、
「そんなはずはない!」と思いました。

最初は、デジレルとレンドルミンという組み合わせから始まり、
抗うつ薬&向精神薬はその後、パキシル→リフレックス→トレド
ミン→レクサプロ→サインバルタ→バレリンという変遷でしたね。

睡眠薬も、レンドルミンの他、ロヒプノール、ハルシオン、マイス
リーを飲みました。

中でも苦労させられた薬は、パキシルとトレドミンです。パキシル
は、飲んだ事ある人ならご存知でしょうが、とにかく副作用が強く
て大変なのです。それでいて(?)、飲むのをやめると今度は強い
離脱作用に悩まされるという。パキシルは随分長く飲んでました
が、この薬は止めるのにとても苦労しました。

トレドミンは、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み
阻害薬)だけに、とにかく頻脈に悩まされました。ある時など、
病院の忘年会で脈拍が160まで上がってしまい、パニック発作の
ように手足がしびれて、えらい事になった事もあります。

トレドミンは「Tolerance is dominant」(忍容性に優れる)が
名前の由来のはずなんですが、全然優れていませんでした(汗)。
この後飲んだサインバルタも、同じくSNRIで、やはり頻脈に
なりましたが、トレドミンに比べればまだ我慢できる範囲でし
たね。

そして、今でこそ何とか睡眠薬を飲まずに眠れていますが
睡眠薬を飲まずに眠れるようになるまでには、すごく苦労しまし
た。いきなり睡眠薬をカットするのは無理ですから、少しずつ
弱い薬にしていき、最終的にはレンドルミンを半分(0.125mg)
まで減らし、飲む頻度を少しずつ減らし……と、1年以上かけ
て、ようやく睡眠薬とおさらばできました。

なので、睡眠障害の人の辛さは分かるつもりです。時たま、
「眠れないんだったら、夜にジョギングでもすれば」などと言う
人が、病院職員の中にもいますが、うつにおける不眠の何たる
かを全く理解できてないとしか、言いようがありません。

うつ病の症状も、離人症から希死念慮まで一通り経験しました
ので、そのうちそちらも書いてみようと思っています。

今は幸い、無事に治癒しました。主治医には「結婚が一番いい
きっかけだったかも知れないね」と言われています。確かにその
通りだったかも知れません。

妻と出会い、結婚したのが、私のうつの治癒に一番よかったん
だとすれば、今度は私が妻の双極性障害の寛解を目指して、
自分にできる事をするのは、実に自然な流れと言いますか、
これぞ神の摂理なのかも知れませんね。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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一気に冷えてきました。今朝の下関の最低気温は8℃です。
私が住んでいるのは下関の外れなので、もうちょっと気温が
低いはず。

今の室温は12℃。かなり寒いですね。でもまだヒーターは
つけず。もうヒーターに灯油は入れているんですが、まだ
もう少しは大丈夫かな、と(笑)。

ちなみに妻は北海道の人で、暑いのがすごく苦手。母は
鹿児島生まれで、寒いのがすごく苦手。2人が一緒にいたら
大変そうです(笑)。

私はと言いますと、一時期郵便局の集配課で働いていた
事がありまして、あれで相当鍛えられましたね。冬は人の倍
寒く、夏は人の倍暑かったですから。

夏も暑くて参りましたが(ヘルメットかぶってるし)、冬に一番
参るのは、雨に降られる事。郵便物は濡らせないし、手はか
じかむしで、冬の雨は本当に大変でした。

ちなみに、中学生の時は、新聞の夕刊配達もやってました。
郵便配達ほどではありませんでしたが、こちらも大変でした
ね。どうも私は、こういう「人知れず大変」なアルバイトばかり
する傾向にあったようで(笑)。

極め付けは、ショッピングセンターでやる「なんとか戦隊ほにゃ
レンジャー」のアトラクションショー。あれの「中の人」になった
事があります。あれ、かなり大変なのです。ちゃんと、アクション
指導の人が来て、本格的な演技指導もありまして、覚えるの
に一苦労しました。

それに、あのスーツは、当たり前ですがとても暑いんですよ。
確か3月でしたが、汗だくになりました。視界も悪くて苦労し
ました。その状態で戦闘シーンを繰り広げたり、決めポーズを
したり、ヒーローの中の人も楽ではありません。

1日2回公演で、バイト代は1万円。1回の公演は30分ですか
ら、いいバイトと言えなくもないですが、練習も含めてほぼ1日
拘束ですから、まあ普通かも(笑)。でも、子供たちが大喜び
してくれるので、大変でしたが楽しいバイトでしたよ。もう一度
やりたいか、と言われると、ちょっと遠慮したいですけど(笑)。

さて今日は金曜。冷え込むので、妻がちゃんと起きられるの
かどうか、それがちょっと心配ですが、今日もしっかりやって
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思い返せば、去年の秋ごろから妻の調子が下降線に
なったのでした。ちょうどその頃、住んでいるアパートの
隣で新しいアパート建設工事が始まり、とにかく1日中
やかましい事と言ったらありませんでした。

そのため、妻は昼まで起きられなくなるし、この辺りから、
波はあれど、長い鬱の波に入っていしまっている気が
します(去年の夏は、まあまあ好調でした。軽躁状態
だったのかもしれませんが)。

アパートを建てるのに音がするのは当たり前なので、
仕方ないと言えば仕方ないのですが、去年は、工事の
予定が遅れているのか、朝8時から夜7時まで、しかも
休みなく工事をして、加えて休日にまでやっている始末。

とうとう私は、「音出すなとはいいませんけど、せめて常識
的に、音出したら迷惑だなって日とか時間には、少し静か
にできませんか?」と苦情を入れたのでした。

その後は少しましになりましたが、今年の春に騒音から
解放されるまで、妻はずっと不調続きでした。

ま、文句を言っても始まりませんし、妻がまた上向きに
なる時期が来るように、支えていくとしましょう。

昨日の夜は、大根、人参、白菜、鶏肉を使って、あっさり
和風の煮物を作ってみました。今日の夕飯用です。そろそろ
煮物をおいしくいただける時期になってきましたね。大根や
ジャガイモは、仕事が終わってから煮込んでも、時間足り
ませんから。

今日も天気は少しいまいちで、しかも木曜は仕事が忙しい
日なのですが、今日も頑張ってきますよ~。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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昨日は1日大雨で、あまつさえ夜には小さな地震までありま
したが、今朝は気持ちのいい晴れ。空気のさわやかさは、
完全に秋です。ま、あと2,3回は暑さが戻ってくる事がある
かもしれませんけどね。

さて、今日は私の話でもしましょう。私の父はこの4月に69歳
で亡くなりましたが、父とは血が繋がっていませんでした。

私の生まれは徳島県徳島市ですが、ほとんど「生まれただけ」
で、1年も住まずに、両親は離婚したようです(その辺の詳しい
事情はよく知らないんですけどね)。生まれ故郷とは言え、
徳島の記憶なんて全くありません。J2の徳島ヴォルティスは
ちょっとだけ応援してますが(笑)。

その後、母の実家がある鹿児島県鹿児島市に引っ越して、
そこで弟が生まれたたそうなんですが、ごちゃごちゃあって
母は勘当同然の身になったらしいです。

それが証拠に、血が繋がっている母方の親戚と、私は一度も
会った事がありません。母の実家にも、ごく幼いこの時以来、
一度も行った事がありません。

その後各地を転々として、小学生に上がる前に下関市に引っ
越してきて、父と再婚しました。あまりこの頃の事は覚えて
いないのですが、苗字でもめた事は少し覚えています(笑)。

父方の実家には時々行っていたんですが、何せ古い家で
「本家」でしたし、父は7人兄弟の次男でしたが、長男(戸籍
上は叔父に当たる人)には娘が1人しかいなかったんですね。
そこへ、次男である父が、男2人の兄弟の連れ子がいる母と
現れたものですから、長男の嫁(ま、一応叔母さんにあたる人。
この人嫌いだったけど(笑))にしては、はなはだ面白くない訳
です。

それでも、兄弟2人の時はまだ何とかそれなりに関係があった
んですが、私が中学生の時に、一番下の弟(何度か話にも
出した、薬剤師の弟です)が生まれてから、状況が変わり
ました。

今までは、本家の跡取り扱いとは言え、血が繋がっていませ
んから、まだ長男の方にアドバンテージがあったんですが、
今度は正真正銘、次男である父の、血のつながった子供です。
なので、この時をきっかけに大変トラブルが起こってしまい、
それ以来父もほとんど実家とは縁を切ったような状態になって
しまいました。

高校生くらいでしたか、父の父(祖父にあたる人)が亡くなりま
したが、その時も父は遺産を一円も受け取っていません。4月に
亡くなった父も、実家のお墓には入れてもらえてないですし。

そういう訳で、父方とも母方とも縁が切れて、親戚と呼べる人が
ほとんど全くいない、という状態になってしまったのでした。
実際、真ん中の弟の結婚式の時、新婦側は数十人の親戚が
来ていたのに(普通それくらいは来ますよね)、新郎側は両親、
兄弟の他は2人だけ、という(笑)。

そういう訳ですので、妻の両親を始めとする親戚とは、よい
関係を保っていければなあと思っています。そのうち書きます
が、1年半後くらいに、妻の実家がある北海道に引っ越すつも
りでいるのです。

私がこういう身の上ですので、血の繋がりっていうのは、本当に
大事にしないといけないと思いますよ。私のように、血が繋がった
関係を一度失ってしまうと、後からどんなに望んでも得られない
ものですから……。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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