今日は朝から台風の影響で、雨と風が強く、一日家で過ごしました。とは言え、下関は風速もせいぜい10m/sくらいで、被害も特になく、無事にやり過ごせて一安心です。

さて、日本で「週末」と言えば土日の事を指すようです。そして俗に「サザエさん症候群」と言うように、休みの日曜日を過ごして、サザエさんのエンディングテーマを聞きながら、「ああ、明日からまた仕事(学校)か。憂鬱だなあ」となる、というのが、一般的な日本人の感覚なのかも知れません。

しかし私は、そのように感じた事がありません。何故かと言いますと、「日曜日は週末ではなく、週の最初の日」だと思っているからです。

カレンダーを見てください。日曜日は一番左にありますね。そもそも一週間が七日というのは、ユダヤ教やキリスト教から来た習慣です。ユダヤ教では安息日が土曜日ですが、キリスト教では日曜日です。なので、日曜日が休みというのは、キリスト教由来なのです。

そのキリスト教(ユダヤ教)では、日曜は週の初めの日です。聖書で、キリスト復活の朝は「週の初めの日」と書いてありますが、これは日曜日の事です。そしてクリスチャンは、キリストの復活した日が日曜日ですから、毎週日曜日には教会へ行き、キリストの復活を記念して、礼拝を守ります。そして、週の初めの日に心の栄養をいただき、「今日も一週間頑張るぞ!」と、エネルギーをチャージするのです。

こう考えると、日曜が終わるとしても、単に週の初めの日が終わるだけで、「よし、明日からも頑張るか」となります。些細な考え方の違いですが、これだけで日曜日の捉え方が全然違います。日曜が週の終わりの日だと思っていると、朝もいつまでも寝ていたくなりますが、日曜が週の初めの日だと思うと、「一週間の最初の日だから、早起きしよう」ともなります。

逆に、週の終わりの日である土曜日が、ちょっとだらけるんじゃないのと言われたら、少しそうかも知れませんが(笑)。

別に、聖書を読んだり教会へ行って礼拝に出席する必要もありませんが(もちろん、行きたい方は是非行ってください。どこの教会も大歓迎してくれます)、日曜日が週の最後の日ではなく、週の最初の日だと、考え方を変えてみてください。それだけで、日曜日の過ごし方が変わり、日曜の夜の憂鬱な気分がなくなるかも知れませんよ。

と書いてみましたが、今週は明日も祝日でお休みです。なんだか得した気分ですね。

台風も無事に通り過ぎましたし、明日は少し出かけられたらいいんですが、それは妻の調子次第ですね。まあ無理せずのんびりと休日を過ごします。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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今日の妻は、夕方までは調子が良かったようなのですが、夜になってまた調子を落としてしまいました。なかなか上手く行きませんね。

今日の夕食。鶏むね肉のイタリア風。付け合わせは、小松菜の胡麻和え。ちょっとミスマッチです(笑)。鶏むね肉は、酒、少量の砂糖と塩でしばらく漬け込んだあと、片栗粉をつけて焼けば、驚くほど柔らかく仕上がります。もも肉より脂肪分が少ないから、上手く調理したいですね。

170524今日の夕飯

小松菜の胡麻和えは、湯がきすぎず、鮮やかな緑色になったくらいですぐお湯からあげた方が、歯ごたえが良くて美味しいです。そのくらいだとちょっと独特の苦みが残りますが、それくらいの方が体にいいかも?(本当かよ)

さて、私はクリスチャンですから、夫婦関係もできれば聖書に則って築ければなあと思っている訳です。では聖書には夫婦についてどう書いているかと言いますと……。

いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。 (エフェソの信徒への手紙5章33節)


エフェソの信徒への手紙の第5章後半は、妻と夫について書かれています。21節の「(キリストに対する畏れをもって、)互いに仕え合いなさい」から始まります。この「(夫婦は)互いに仕え合いなさい」というのが、まず強烈な命令ですよね。「旦那はお金を持ってきてくれる存在」「妻は家事やって料理作って待ってればいい」と思っていると、こういう言葉は脳天に落ちる稲妻のように響く事でしょう(笑)。

そして、「夫は妻を自分のように愛しなさい」と書いてあります。「汝の隣人を自分自身であるかのように愛せ」は、キリスト教の基本的な教えですから、この命令はある意味当然ではありますが、これは要するに「妻の事を、あたかも自分自身であるかのように、(自分自身を差し置いて)愛せ」という事です。

自分の欲しいものよりも妻の欲しいものを、自分の時間よりも妻の時間を、自分の命よりも妻の命を優先せよ、という事です。この後「妻はすべての面で夫に仕えるべきです」「妻は夫を敬いなさい」とありますが、妻に対してこう聖書が命令するのも、夫に対する厳しい戒めがあってこそです。

妻の方とて、自分の事を命がけで愛さない男に仕えたり、そういう夫を敬ったりはできませんよね(笑)。夫は何も自分の務めを果たさず、妻だけが夫に仕え、夫を敬えというのでは、行きつく先はDVになりかねません。

要するに、夫も妻も、「ある程度自分を犠牲にする覚悟を持ちなさいよ」という事です。O.ヘンリーの「賢者のおくりもの」の精神です。「性格の不一致」とやらで離婚する人々も多いですし、実際いかんともし難い理由で別れる夫婦もあるんでしょうが、夫婦というのはもともと他人ですから、夫婦がお互いに、同じくらい自分を犠牲にする覚悟がない限り、それはそのうち破綻するに決まっていると、私は思います。

私がそこまでできているかと言われますと、はなはだ自信がないのですが、目標はそこに置いて、夫として少しずつ成長できるように努力していければと思っています。

「賢者のおくりもの」は、こういう言葉がラストに来ます。

Maybe the hairs of my head were numbered,
but nobody could ever count my love for you.
(私の髪の毛の数は数えられたとしても、私のあなたに対する愛は誰にも数えられはしない)


いつまでもこういう心がけでありたいものです。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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今日は連休の初日。憲法記念日でした。天気もまずまずで風も気持ちよく、過ごしやすい一日でした。妻は暑さで参っていましたが……(笑)。

お昼ごはんは、さっぱりした物を食べたいという妻のリクエストに応えて、おろしかしわそば。夕ごはんは一転してピリ辛の、キムチ焼きそば。昨日あんな事を書いたのに、麺類が続いてしまいましたね(汗)。夕方には、みぃを連れて散歩にも行きました。

さて、新約聖書にこういう言葉が載っています。

イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」 (ルカによる福音書21章1~4節)


私たちは、人の行動を、その「絶対量」で見がちです。しかし、行動はその人の能力と照らしあわされるべきです。例えば、幼い子供がお父さんに誕生日に、画用紙に書いた似顔絵をプレゼントするのと、若い社長が彼女の誕生日に、会社の経費で食事をプレゼントするのでは、全然意味合いが違いますよね。

どっちが上とか下とかの話ではないのですが、少なくとも、単に表面的なコストだけ見て、幼い子供のプレゼントが価値がない、という人はいないはずです。

同じように、双極性障害や鬱病の周りにいる人は、そういう精神疾患が、普通の人のように行動するのがどれほど大変かを理解して、患者本人のわずかな心遣いに、敏感になって欲しいのです。

双極や鬱病で何もできない人は、好きで何もできない訳ではなく、何もできない自分を本当に情けなく思い、少しでも何かしたいと思っているのです。ですから、患者が示したほんの些細な気遣いを、しっかり受け止め、その気遣いに感謝する事です。上のイエスのたとえ話にあるように、健常人から見たら取るに足らない行動でも、それはもしかしたら「やもめが全財産として入れたレプトン銅貨」かも知れないのです。

逆に患者の側は、「何もできなくて申し訳ない……」という思いを捨て、「いつも支えてくれてありがとう」という感謝の思いを持つ事です。と言って、これが簡単ではないのですけどね(汗)。

患者を支える側は、「辛いのに、気を遣ってくれてありがとう」、患者は「いつも支えてくれてありがとう」と、共に感謝できれば、毎日楽しく過ごせます。私は、妻から毎日たくさんの物をもらっています。だから頑張れるのです。

明日は連休二日目。のんびりで行きましょう。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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昨夜の1時半頃だったと思いますが、派手に雷が鳴ったため、みぃが大変怖がりました。犬って、例外なく雷が苦手ですよね。DNAレベルなんでしょうか。

うちのみぃは、雷以外にも花火の音も苦手です。じゃあ大きな音が苦手なのかと思えば、正午に近くの公民館から大音量で流れるサイレンには、全くの無反応。犬と人間の耳の聞こえ方って、もしかしたら違うのかも知れませんね。

さて、たまには聖書(キリスト教)のお話を。妻は、「クリスチャンって、あれをしないといけない、これもしないといけないって、凄く窮屈そうだ」と思っている節があります。例えば、毎週日曜には礼拝に行けとか(私、時々しか行ってませんけど(笑))、お祈りをしないといけないとか、聖書を読まないといけないとか……(実は、本来なら仏教の方がはるかに戒律は厳しいはずなのですが)。

一般の方も、そう思っている人が多いような気がしますが、これは「エ○バの証人」(うちらは略してJWと呼んでいますが)の影響が大きいように思います。輸血禁止は有名ですが、あの方々は、本当に戒律づくめで、感心するほどです。言うまでもない事ですが、JWはキリスト教ではありません。

本当のキリスト教には、戒律というものは存在しません(一部、自主的に酒を禁じている救世軍のような団体もありますが)。していい事はあっても、していけない事はないのです。

恋人とか夫婦に例えれば分かりやすいかも知れません。恋人同士って、「恋人だからあれもこれもしないといけない、じゃないと愛がないって事になってしまう」……のではありませんね? まったく逆で、「愛しているから、恋人にあれもこれもしてあげたい」のです。「行動により、愛情があるとされる」のではなく、「愛情があるから、行動として表れる」のです。

信仰もまったく同じで、「行動(戒律に従う事)で、信仰があるとされる」のではなく、「信仰があるから、行動として表れる」。同じように見えて、これは全然違います。

なので、示される行動というのは、その人次第でいいのです。夫婦や恋人だって、愛情の示し方は千差万別ですからね。極端な話、礼拝に一度も行かなくても、聖書を全く読まなくても構わない訳です(流石に極論ですが)。

こういう話をしても、妻にはなかなか分かってもらえません(苦笑)。私の話が分かりにくいせいだと思いますが、できればそのうち分かってもらえればいいなと思いつつ、毎日祈っています。

ところで、今日の夕飯は妻が作ってくれました。豚肉とにらの味噌炒めとお味噌汁。ご飯が進む美味しさ、星6つ! 食事の支度はかなり体力と精神力を消耗するはずですが、私が昨日仕事で疲れていたので、無理して準備してくれました。本当に嬉しいですね。

明日は、余っている牛乳を使って、鮭のクリーム煮を作るつもりです。うちは牛乳を飲まないので、料理で使い切るしかないのです(笑)。仕事は明日も忙しいですが、頑張ってきますよ。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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妻の体調は相変わらずですが、昨日よりはいいようです。
これからどんどん日も長くなってきますから、体も心も上
向きになってくれるといいですね。

さて、時々「私は無神論です」という人を見る事があります。
そのような人から見たら、毎回食事の度に「この食事に感謝
し、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」と
祈りをささげる、私みたいな人は、理解しがたい人種という
事になるでしょう。

しかし、無神論と言いつつ、本当に心からそう思っている人
というのは、日本人にはまずいないんじゃないかと思います。
こういう話を読んだ事があります。

とあるクリスチャンの作家の元に、記者がインタビューに来ま
した。その記者は、「私は無神論者ですので、宗教の話はご
遠慮願います」と言いました。

すると作家は、「あなたの子供がもし誘拐されたとしたら、無
神論者であるはずのあなたも、『何か』に祈るのではありま
せんか? だとしたら、あなたは無神論者ではなく、心の底
では神がおられる事を知っているのです」。記者は、二の句が
継げなかったそうです。

そういう状況で、「神はいない。だから、祈っても無駄」だと
ばかりに、何もせず過ごせる日本人は、まずいないでしょう。
必ず、『何か大いなるもの』に祈るはずです。

もしかしたら、「いや、神じゃなく守護霊に祈るんだ」とか、「ご
先祖様に祈るんだ」という無神論者もあるかも知れません。し
かし、その場合でもその守護霊なりご先祖様なりが、人間を
超越した力を持っていて、祈りをかなえてくれるという思いが
あるからこそ祈るはず。

だとしたら、実質それは「神」と変わりありません(まさか、道
端の石ころに祈る人はいないでしょう?)。ですから、「祈る」と
いう行為自体、心の中で神を認めているという事ではないで
しょうか。

なので、大多数の無神論者にとっては、「神がいないと信じ
ている」のではなく、「神はいるとうすうす感じているけど、
目を背けている」のではないかと、私は思うのです。

なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。
神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見え
ない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の
余地がありません。 (ローマの信徒への手紙1章18節~19節)
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