妻の体調は相変わらずですが、昨日よりはいいようです。
これからどんどん日も長くなってきますから、体も心も上
向きになってくれるといいですね。

さて、時々「私は無神論です」という人を見る事があります。
そのような人から見たら、毎回食事の度に「この食事に感謝
し、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」と
祈りをささげる、私みたいな人は、理解しがたい人種という
事になるでしょう。

しかし、無神論と言いつつ、本当に心からそう思っている人
というのは、日本人にはまずいないんじゃないかと思います。
こういう話を読んだ事があります。

とあるクリスチャンの作家の元に、記者がインタビューに来ま
した。その記者は、「私は無神論者ですので、宗教の話はご
遠慮願います」と言いました。

すると作家は、「あなたの子供がもし誘拐されたとしたら、無
神論者であるはずのあなたも、『何か』に祈るのではありま
せんか? だとしたら、あなたは無神論者ではなく、心の底
では神がおられる事を知っているのです」。記者は、二の句が
継げなかったそうです。

そういう状況で、「神はいない。だから、祈っても無駄」だと
ばかりに、何もせず過ごせる日本人は、まずいないでしょう。
必ず、『何か大いなるもの』に祈るはずです。

もしかしたら、「いや、神じゃなく守護霊に祈るんだ」とか、「ご
先祖様に祈るんだ」という無神論者もあるかも知れません。し
かし、その場合でもその守護霊なりご先祖様なりが、人間を
超越した力を持っていて、祈りをかなえてくれるという思いが
あるからこそ祈るはず。

だとしたら、実質それは「神」と変わりありません(まさか、道
端の石ころに祈る人はいないでしょう?)。ですから、「祈る」と
いう行為自体、心の中で神を認めているという事ではないで
しょうか。

なので、大多数の無神論者にとっては、「神がいないと信じ
ている」のではなく、「神はいるとうすうす感じているけど、
目を背けている」のではないかと、私は思うのです。

なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。
神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見え
ない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の
余地がありません。 (ローマの信徒への手紙1章18節~19節)
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
応援クリックしていただければ、励みになります

入浴も楽じゃない

いのちの輝き~配偶者を一番大切に

comment iconコメント ( 0 )

コメントの投稿