今日も、いつものように仕事の後買い物をして帰ると、妻が夕食を用意してくれていました。献立は肉じゃが。みりんが残り少なかったので、少しだけ残すよりも全部使ってしまえという事で、甘目の味付けでしたが、下ごしらえがきちんとできていて、とても美味しくいただけました。

夕食の支度をしてくれたという事で、妻の調子はまずまずのようです。食事の支度は、かなりエネルギーを使う作業ですから、この後はゆっくり休んで、明日に疲れを残さないでくれるといいなと思っています。

さて、最近は「がんばれ」という言葉は、流行遅れの感があります。むしろ「がんばらなくてもいい」「そのままでいいんだよ」みたいな言い回しが、人気ですよね。

その意図するところ自体はいいとは思うのですが、だからと言って、これを拡大解釈して、必死に頑張る事が泥臭くて格好悪いとされたり、あるいは努力自体が意味のない物とされる、というのは違う気がします。運動会で、「順位を決めるのはよくないから、みんなで手を繋いでゴールしましょう」なんて、その最たるものです。

私は思うのですが、やっぱり努力はできる限りしないといけないと思うのですよ。そうでないと、何の進歩もありません。運動会だって、足が速い子が一位になるのは当然の事です。その分、勉強が得意な子は勉強で、絵が得意な子は絵で、料理が得意な子は料理で一番を目指せばいい訳で、「競争が良くない」と、順位を付ける事を否定するのは、それぞれに与えられた個性すら否定する事に繋がりかねません。

「そのままの君でいい」というのは、あくまで「努力した結果」について言われるものであって欲しいと、私は思います。頑張った結果は、どんな結果でもその人の努力あってのものですから、受け入れられて欲しいなと。

AKB48の「365日の紙飛行機」という歌で、「その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだか それが一番大切なんだ」という一節がありますが、そう言えるのも、「飛び立ったから」です。飛び立たない紙飛行機はただの紙であり、飛ばない豚はただの豚です(意味不明)。

もう一つ。「頑張れ」と言っていいのは、相手の苦労や苦しみ、悲しみ、努力をよく知っている人の特権だと思います。自身ろくに勉強してこなかった親が、子供に勉強しろ勉強しろと言っても、説得力のないただのわがままですし、鬱の苦しみを知らない人が「心の持ちようだから頑張れ」なんていうのは、ただプレッシャーをかけるだけで、何の益にもなりません(鬱の人は、事情を知っていても叱咤激励はすべきでないですが)。

できる範囲での努力をして、それをお互いに受け入れられる、そんな関係ができれば、一番いいですね。無論、社会全体がそうなってくれたらいう事なしですが、せめて自分のそばにいる人とは、そういう関係でありたいと思います。 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
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