今日の妻は、夕方までは調子が良かったようなのですが、夜になってまた調子を落としてしまいました。なかなか上手く行きませんね。

今日の夕食。鶏むね肉のイタリア風。付け合わせは、小松菜の胡麻和え。ちょっとミスマッチです(笑)。鶏むね肉は、酒、少量の砂糖と塩でしばらく漬け込んだあと、片栗粉をつけて焼けば、驚くほど柔らかく仕上がります。もも肉より脂肪分が少ないから、上手く調理したいですね。

170524今日の夕飯

小松菜の胡麻和えは、湯がきすぎず、鮮やかな緑色になったくらいですぐお湯からあげた方が、歯ごたえが良くて美味しいです。そのくらいだとちょっと独特の苦みが残りますが、それくらいの方が体にいいかも?(本当かよ)

さて、私はクリスチャンですから、夫婦関係もできれば聖書に則って築ければなあと思っている訳です。では聖書には夫婦についてどう書いているかと言いますと……。

いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。 (エフェソの信徒への手紙5章33節)


エフェソの信徒への手紙の第5章後半は、妻と夫について書かれています。21節の「(キリストに対する畏れをもって、)互いに仕え合いなさい」から始まります。この「(夫婦は)互いに仕え合いなさい」というのが、まず強烈な命令ですよね。「旦那はお金を持ってきてくれる存在」「妻は家事やって料理作って待ってればいい」と思っていると、こういう言葉は脳天に落ちる稲妻のように響く事でしょう(笑)。

そして、「夫は妻を自分のように愛しなさい」と書いてあります。「汝の隣人を自分自身であるかのように愛せ」は、キリスト教の基本的な教えですから、この命令はある意味当然ではありますが、これは要するに「妻の事を、あたかも自分自身であるかのように、(自分自身を差し置いて)愛せ」という事です。

自分の欲しいものよりも妻の欲しいものを、自分の時間よりも妻の時間を、自分の命よりも妻の命を優先せよ、という事です。この後「妻はすべての面で夫に仕えるべきです」「妻は夫を敬いなさい」とありますが、妻に対してこう聖書が命令するのも、夫に対する厳しい戒めがあってこそです。

妻の方とて、自分の事を命がけで愛さない男に仕えたり、そういう夫を敬ったりはできませんよね(笑)。夫は何も自分の務めを果たさず、妻だけが夫に仕え、夫を敬えというのでは、行きつく先はDVになりかねません。

要するに、夫も妻も、「ある程度自分を犠牲にする覚悟を持ちなさいよ」という事です。O.ヘンリーの「賢者のおくりもの」の精神です。「性格の不一致」とやらで離婚する人々も多いですし、実際いかんともし難い理由で別れる夫婦もあるんでしょうが、夫婦というのはもともと他人ですから、夫婦がお互いに、同じくらい自分を犠牲にする覚悟がない限り、それはそのうち破綻するに決まっていると、私は思います。

私がそこまでできているかと言われますと、はなはだ自信がないのですが、目標はそこに置いて、夫として少しずつ成長できるように努力していければと思っています。

「賢者のおくりもの」は、こういう言葉がラストに来ます。

Maybe the hairs of my head were numbered,
but nobody could ever count my love for you.
(私の髪の毛の数は数えられたとしても、私のあなたに対する愛は誰にも数えられはしない)


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